2008年12月04日

母の遺した大きな遺産

こんにちは。
ひさしぶりのブログに復帰です。


■ありがとうございました

 母の告別式も無事に終わり、沖縄に戻ってきました。

 11月25日の告別式にはたくさんの供花、弔電、あるいは
 携帯&PCメールやミクシィ、ブログのコメントなど、
 ものすごい量のメッセージをいただきました。


 みなさんの心温まるお言葉の数々に感謝いたします。
 ありがとうございました。

 いま少しづつひとりひとりにお礼を書いています。



■この一週間は多忙を極め

 母がいなくなってしまったという現実感がないままに、
 役所や銀行の手続き、お世話になった方々へのご訪問など
 ほんとに目が回るほど忙しい状態でした。

 沖縄に戻ってもまだそれは続いています。

 
 手続きごとの煩雑さにはもうほんとに疲れました。。

 人ひとりが亡くなるということは、こんなにも大変なこと
 なんだと痛感しています。

 ほんとにあっち行ってこっち手続きして、この書類も取ってきて、
 の連続です。もうたーいへん!



■天との約束の期日

 母は結局は脳梗塞が命とりになったのではなく、15年前に
 手術した心臓弁膜症の人工弁不全による心不全によるものでした。

 亡くなる2日前まではものすごく元気だったのですが、
 一日前になると一日中ぼーっと眠ったままだったそうです。

 おそらく脳に酸素は回っていなかったのかもしれません。

 そして当日、誕生日を迎えたまさに午前0時を回ったころ、
 意識不明となり、徐々に心臓が弱っていきました。

 78歳を迎えたこの時間が、おそらく天との約束した時間
 だったのでしょう。

 私が駆けつけ直後のた午後2時15分、

 最後まで意識が戻ることはなく、そのまま眠るようにして
 とても穏やかに静かにこの世を去っていきました。



■母との思い出の数々

 母の半生は苦労のし通しでしたが、後半は穏やかなもので
 たくさんの人に愛されて幸せだったと思います。

 私や兄が小さい頃は、父にかなりひどい目に遭わされて
 泣く泣く大阪から私達を連れ帰り、以降は貧しいなかを
 女手ひとりでボロアパートに間借りし、ぼろぼろになるまで
 日夜問わず働き続けていました。

 母の遺した大きな遺産
 大阪天王寺の動物園で

 当時の別府は温泉観光の華やかな時代であり、母も別府で
 旅館の仲居さんというハードな肉体労働をこなしていたものの、
 体が弱いこともあって、過労で倒れて入院してしまいました。

 私はそのとき幼稚園生。
 意味もわからず連れてこられたのは、児童養護施設。

 私は捨てられたのだ、と絶望していつまでもいつまでも
 泣き続けました。

 あのときから、自分はひとりで一生生きていくのだ、と
 自分で孤独な道を選択していたのだと思います。

 まだ幼かったから捨てられたと勘違いしたんですね。笑

 そして母と離れ離れになって8年間私は施設で育ちました。



 母の経済事情で私は結局八年間、養護施設を出ることは
 できませんでしたが、母はその間いつも運動会や参観日には
 仕事の合間をぬって来てくれました。

 それがとてもとてもうれしかった。

 いま振り返ってみると、当時私は会いにきてくれる母のことを、
 とても信頼していたし、絶対の愛を信じていました。

 母のために道を誤ることはしない、と心に決めていたように
 思います。それも母を悲しませたくない一心からでした。


 母の遺した大きな遺産
 運動会で
 
 でも母は亡くなる前も私を施設に預けたことを後悔していると
 言い続けていたという話を聞いて、胸が痛みました。

 私はあの施設での体験が今の仕事にに生きているというのに。
 


 私が沖縄に行くといったときも、母は反対はまったく
 しませんでした。

 私の選択は常に尊重してくれて、反対したことは一度も
 なかったように思います。

 信頼してくれていたのでしょう。


 それでも母は私と別府でもう一度暮らすのが夢だった。


 ずっとこの14年間、さびしさを私に隠していたのを
 知っていながら、それを直視することを避けていた自分。

 亡くなった母は私をどんなに愛していてくれていたのか、
 私にはわかっていました。

 それに応えることのできなかった自分に対して、
 どうしようもない怒りを感じます。

 1月には大分で毎月帰って、母の側にできるだけいようと
 決めた矢先の突然の別れにいまでも現実を受け止めきれない
 自分がここにいます。


 いまは何もしてあげられなかった後悔で胸がいっぱいです。
 
 でも亡くなってしまった今では
 どんなに後悔してももう遅いのですよね。



■キリスト教会で天使に遭遇??

 今回は母が近所のキリスト教会にお世話になっていたこともあり、
 教会にて告別式をお願いしました。

 牧師さんご夫妻は母にとてもよくしてくれて、最後を見取るときも
 ずっと側についてくださいました。

 ほんとに感謝しています。


 そして通夜の送別式のとき、不思議な話を聞きました。

 母は生前教会の礼拝に行くと、歌は好きでよく歌うけれども、
 牧師さんのお話しになるとよく眠っていたそうです。

 ある日、いつものように居眠りしていると両側から肩を叩く
 男性がいて「起きなさい、話を聞きなさい」と
 言って起こしてくれたのだそうです。

 その姿は白い輪っかのある帽子のようなものが頭にあり、
 上から下まで真っ白なきれいな服を着ていたらしく、

 母は礼拝後、あれは誰ですか?と聞いて、みんなをびっくり
 させたことが一年ほど前にありました。

 もしかして天使だったのでしょうか。

 私もこの話は聞いて知っていましたが、ちょっと心配でした。
 もしかして、まさかもう迎えの準備が来ている?と。


 それ以降母は礼拝で眠ることがなくなったそうです。


 ただウケるのが、その男性たちが言ったのが、佐伯弁で
 「起きんかえ、起きんかえ」と言ったとのこと。

 私は通夜の席で噴き出しました。
 
 そういうオチかい!笑



 母の遺した大きな遺産

 お通夜の夕方、母の住むマンションと教会の付近から
 ちょうど虹がかかっていました。

 大分の友人のShibataが撮影したものです。

 位置的にもたまたま偶然が重なったものですが、
 タイミング的にもメッセージ的にも「天の祝福」だと
 直感的に思いました。

 きれいな教会の上からすーっと伸びているような感じで
 撮れています。うれしいですね。



■母の遺したもの

 母がなくなってからというもの、母がどんなに素晴らしい人
 であったのか、周りの人々から聞かされて驚いています。

 入院しているときも、

 毎日身内でもない人が入れ替わり立ち代り、
 見舞いに来てくれるなんて、そんな人はなかなかいません、
 あなたのお母さんの人徳ですよ

 と看護師さんたちからも言われました。


 その看護師さん達からも愛され、母の存在そのものが、
 私達の癒しだった、と看護師さんのひとりが泣いていました。

 亡くなる前は、ベッドに座って子供のようにニコニコと
 楽しそうに歌を歌っていたのだそうです。

 逝くその日を魂レベルではもうすでに知っていたんでしょう。
 


 そして、住んでいたマンションの住人たちや、教会の人たちも
 みんな母の存在は大きな影響を与えていました。

 なんと教会は毎年11月23日は大鶴さんのメモリアルデー
 として、追悼セレモニーを行うことに決定したそうです。

 驚きました。
 そんな影響力のある人だったなんて。。。

 いつもぬか漬けを持参してみんなに振る舞い、みんなが
 喜んでくれるから、と大量にぬか床を毎日かき混ぜていました。

 マンションは管理人がいないので、汚れ放題の廊下や踊場を
 毎日掃除をしていました。

 マンションの人達に私はあなたのお母さんには頭が下がる
 といつも言われていたのです。

 そういうことを誰かに評価されるでもなく見返りを求める
 でもなく自然にいつも人のためにしていた、それが母でした。



 母の死後、10日たった今でも私は自分の不義理をわびる
 気持ちでいっぱいで、自分を許せないでいます。

 しかし、そのままの状態でもいけません。

 今回を機に、母の生き方から多くのものを学びました。

 母から受け継いだ遺産はモノやお金ではなく、心の在り方、
 見返りを求めず与え続ける大きくて広い愛。

 こんなにたくさんの人に愛されて、惜しまれて逝った母は
 ほんとうに幸せな一生だったと思います。

 
 母の遺した大きな遺産
 13年前の湯布院で


 最近よく母に顔が似てると言われて、ええーいやだーと
 嫌がっていたのですが、母の死後はとてもうれしくて、
 誇らしいような気持ちに変わりました。

 せっかく母の遺伝子を受け継いでいるのですから、

 母のような人を愛し愛される最高の人生を生きていきたい、
 母の死を通していまはそう思っています。



 このたびはみなさんにとても感謝しています。
 ほんとうにありがとうございました。



 そして、

 みなさんもどうぞ、お母さんを大切にしてくださいね。










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Posted by カズ姐さん at 09:35│Comments(14)コラム・日記
この記事へのコメント
カズ姐さん

お帰りなさい。

お母様とのお別れを知って
私もとても悲しくなりました。

ですが、
私の大好きなカズさんを産んでくれて
ありがとうございます!

と心の中でお礼を伝えました。

カズさんも お母様のような
たくさんの愛を伝えるメッセンジャーですよ~
私には そんな存在です^^

しばらくは ゆっくりと身体を休めてくださいね。
Posted by 光ちゃん at 2008年12月04日 09:53
カズさん、昨日はお忙しいところありがとうございました。

改めて、私も両親を大切にしたいと思いました。
私がカブを美味しく漬けられるようになったら、ぜひ味見してやって下さい。

私も、カズさんを見習って頑張ります。
Posted by ひかりあめ☆ひろこ at 2008年12月04日 10:30
カズさん、素敵なお母様ですね。

やさしく、他人を想う気持ちが強い人には、時にこの世界は生きにくいこともあるのだと思います。

それでも、志を貫かれたことは、立派なことですね。
お母様は、最後は温かい人に囲まれ、愛と感謝を残してゆかれました。
最後は、お母様の思いがきっと実ったのですね。
ご冥福を心からお祈りいたします。


カズさん、無理しないようにね。
助けを求めたり、自分を大切にするときがあってもいいんですよ。
老婆心ながら。
Posted by あづま at 2008年12月04日 10:45
カズ姐様、
突然の事、謹んでお悔やみ申しあげます。
お母様のご逝去の後も、
残った人々の記憶にあたたかく生き続けている様子を
文面から読み取らせていただきました。
心からご冥福をお祈り申し上げます。
Posted by アトゥーラ at 2008年12月04日 11:04
カズさん、お帰りなさい~

ブログを読ませて頂いて、深い深い愛をたくさん感じました。
お母様と同じような大きな人徳をカズさんもお持ちだと思いますよ。
まだしばらくお忙しい日々が続くようですが、
お体ご自愛下さいね。
Posted by kickkick at 2008年12月04日 11:19
ご母堂様が他界なされたとのこと、
存じませんでしたが、
心からご冥福をお祈り申し上げます。
自分のできることをしていたとしても、
おそらくもっとしてあげたかったという思いは
残るのかもしれません。
愛しているから、もっとそばにいてほしかったから、、、。
人望の厚いお母様が、これからはカズさんの中に、
そしてたくさんの方々の中に輝き、
さらに多くの人たちに触れるのだろうと思います。
いろいろとご多忙かと思いますが、ご自愛ください。
Posted by イザベラ at 2008年12月04日 12:15
カズさん
お帰りなさい。

沖縄の風でゆっくり元気になってくださいね。

お母様は、寿命で亡くなり、天国から
カズさんを見守っていますよ。

又逢いましょう~
Posted by 宝です。 at 2008年12月04日 15:56
お母様の ご冥福をお祈りしております。

順調に良くなられていると思っていて
久しぶりにブログにお邪魔して ビックリしました…

離れて暮らす期間もありましたが
カズさん母子の絆が 何よりも深かった事が伺える
エピソードばかりです。

私も埼玉に両親がいて なかなか孝行できませんが
今より少しずつでも 大切にしていきたいと思います。
Posted by 山幸山幸 at 2008年12月04日 16:30
カズさん

今は色々な想いでいっぱいだと思いますが
『せめてもの想い』を大切に。
そして、今まで以上にお母様が身近な存在になりますように。
心からお母様のご冥福をお祈りします。
Posted by スガワラ@わかば at 2008年12月04日 18:19
カズ姐さん、

こんばんは。いつも、ありがとうございます。
ありがとうございます。

やっぱり、カズ姐さんのお母さまは、すばらしい人だったのですね。

お母さま、カズ姐さんが大好きでたまらないと思います。

どうか、あまりご自分をせめないで、
こんな風にお母様のことを10日でブログなどに、表現できるなんて、カズ姐さんが唯一無二な存在なのです。

私の母もステキでした~。今もいつも教えてもらっています。あちらから。

カズ姐さん、カラダ無理しないでくださいね。

このお母さまとのこの世のお別れが、
カズ姐さんを、慈しく、強く、深くして下さることと思います。

大きな悲しみが包まれる日が来ますことお祈りしています。

ありがとうございます。
Posted by Olivia Candle SunshineOlivia Candle Sunshine at 2008年12月04日 22:27
うーん、なんと申し上げていいのやら、、、
素晴らしいおかあさんだったのですね。
Posted by 不動 at 2008年12月04日 22:52
カズさん お帰りなさい。

お母さんの 懐のあたたかさと
慈しみの心が 深く伝わってきました。

お母さんは 風になっても
カズさんを ニコニコと微笑んで
優しい風で そっと包み込んでくれていると
思います。お体を大切に。
Posted by kamyu at 2008年12月05日 11:02
お久しぶりです。
お母様、あちらの世界に帰られたのですね。。。

繋がっているとわかっていても、やはり今までと同じようには会えないから、こちらで生きている人間にとっては、やはり哀しいし、寂しい事だと思います。。。

お母様のご冥福をお祈りいたします。
Posted by ピカエル at 2008年12月05日 20:49
☆光ちゃんへ

ありがとう、うれしいです。
光ちゃんにはお花をいただき母も喜んでいますよ。

私も母の生き方を見習っていこうと決意しています。
来週お会いするのを楽しみにしていますね。



☆ひかりあめ☆ひろこさんへ

先日はお忙しいところをありがとうございました。

ひろこさんにはほんとにレメディのことや母のことでも
ずいぶん相談に乗ってもらい、ほんとうに感謝しています。

そして母の大切にしていたあの、ぬか床をもらっていただけて、
母もきっと喜んでいると思います。




☆あづまくんへ

このたびはありがとうございました。

>お母様は、最後は温かい人に囲まれ、愛と感謝を残してゆかれました。
>最後は、お母様の思いがきっと実ったのですね。

ほんとうにそうだったんだと思います。
どこまでも魂のきれいな人でしたね。




☆アトゥーラさんへ

おひさしぶりですね、お元気ですか?

メッセージありがとうございます。
母のように記憶に残る生き方って素晴らしいと思いました。



☆kickさんへ

ありがとうございます。

私もまだまだ修行が足りません。笑
母のように徳を積む人生を歩んでいきたいと思います。





☆イザベラさんへ

おひさしぶりです。いまは日本でしょうか。

メッセージありがとうございます。

親をなくした子はいつまでもこうしてあげたかったという、
悔いがどうしても残るものだと思いました。

なかなかそれをリレフレーミングできずにいますが、
いまはまだ仕方ないかなと思っています。




☆宝さんへ

このたびはお心遣いにとても感謝しています。
ありがとうございました。

私も寿命だったのだといまは思います。
魂レベルではもう知っていたのかなと思いました。




☆山幸さんへ

メッセージありがとうございます。

埼玉のご両親ぜひぜひ大切にしてあげてくださいね。




☆スガワラ@わかば さんへ

おひさしぶりですね。
お元気ですか?

メッセージありがとうございます。





☆Olivia Candle Sunshineさんへ

メッセージありがとうございます。

Oliviaさんのお母様ももういらっしゃらないんですね。

私もこんなにも母親の存在が大きかったとは、
失ってしまって初めて知りました。

いまは心の中でどんどん絆が深くなっているのを実感しています。




☆不動先生

メッセージありがとうございます。
今回は自分のおかんをみんなに知ってもらいたかったんです。




☆kamyuへ

ありがとうございます。

母はいつも教会で平和を作り出す人だった、と牧師さんに
言われたのを思い出しました。

慈愛のエネルギーが強かったんですね。




☆ピカエルへ

おひさしぶりですね。お元気ですか?
メッセージありがとうございます。

そうそう、たしかに、繋がっているとは思いますが、
まだまだ実感はできてないんですけどね。

目に見えたらどんなにうれしいかと思ったりしています。
Posted by カズ姐さんカズ姐さん at 2008年12月07日 05:18
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